戦略
・企業法
問題集を解く→圧縮講義聞く→答練(あったっけ?忘れたけど多分あったはず。)
・財務会計
テキスト例題→講義聞く→答練
・財務理論
講義聞く→問題集→答練
・管理会計
財務会計と同じ
・監査論
理解が大事らしい。正直勉強法よくわからない。テキストを読む。答練あったらやる。
・大学の単位
がんばる。
要点
・答練で点数を取ることを最優先事項にする。そうでもしないと量が多くて張り合いがないので。
・講義は長いので何らかの目的意識がないと時間を無駄にしそう。予習してある程度その論点への抵抗をなくしつつわからない論点を洗い出しておくと良い気がする。ただこのやり方非効率かもなので適宜変えていく所存。
・これから受験の話多くなるかも
1/19 勉強内容
・大学レポートのために講義聞く
・毎週の課題
・企業法30p
・企業法問題集
以上
jealousy
SNSの普及により、世の中に嫉妬が渦巻くようになった感じがする。臭い物に蓋をすることができなくなったのである。少しネットサーフィンをしていれば、自分より優秀な人間がわんさか出てくる。自分より華やかな生活をしている人間が出てくる。自分はなんてちっぽけな人間なんだ、自分は負け組なのかもしれない。そんな感情が湧いてくる。むしろマイナスの感情が湧かない方が変なんじゃないかとすら思ってしまう。「嫉妬は意味がないから切り捨てるべき。」だとか「SNSを見るのをやめろ。」と皆はいう。正論だ。嫉妬なんて意味がない。自分のことなんて実際のところ誰も興味がない。
でも、意味ないとわかってもしてしまうのが嫉妬というものだろうし、SNSを見ないで生きていくことはなかなか難しいんじゃないかと、個人的には思う。時代が変わってしまったのだ。Twitter,Instagram,LINEのどれも利用していない人というのは珍しいだろうし、そもそも、これらは時に役に立つツールになりうる。いずれにせよ、「嫉妬しない環境作り」というのは、今の時代においては難しいと思う。便利になったというより、辛い世の中になった。
「自分の人生に無関係な人に対して嫉妬をする」
そんなものは本当に生産性のないことだし、人によっては理解不能に思えるだろう。メンタルの強い友人は、「大事な人以外虫だと思え。」と言っていた。良い考え方だと思うし、自分もこの生き方で生きようとはしている。一方で、そんな簡単に割り切れない人もたくさんいると思う。そういった人はどう生きていけばいいのだろうか。僕の意見としては、ただそれを受け入れることだ。
自分は何者でもない。これからも何者にもなれないかもしれないし、これから自分の歩む人生は地獄かもしれない、そう思ってみる。だから嫉妬をしてしまうのは当然だ。時には病んでしまいそうになる。狂いそうになる。でも、何か目標があるのであれば、それを達成するために努力するしかない。だからやるのだ。ただし、それも無理をしない範囲内でだ。能力以上と感じられることはしない。もちろん、努力したところで報われるかはわからない。苦しい生き方だけど、そんなもんだと受け入れる。自虐ではないが、一度そう割り切ってみると良いんじゃないだろうか。そんな辛いのなら努力しなくて良いじゃないかって?そうかもしれない。逃げ道はたくさんある。
でも、大望を抱いている人間であれば、世の中が残酷で苦しいものだというのは、少なからず感じているのではないだろうか。だから仕方ないじゃないか。そして、意外とこういう生き方も楽しいことがわかる。焦らず地道に努力していくと、ちょっとした成果に対しても心から喜べるようになる。
だからとにかく、自分の感じたありのままを受け入れ、無抵抗のまま生きる。準備だけは怠らずに。
テスト
テスト
浪人
浪人に意味があるのか。
全落ち浪人であれば働くか浪人するしかないので議論する意味はない。正解は「意味がある」である。そこは一年割り切って頑張るんだ。上から目線で言えるほど努力家ではないけど。
では、滑り止めに合格しているにもかかわらずそこを蹴って浪人することに意味があるのかどうか。
つまらない話題だと思った人、正解である。最近記事のネタがない。
さて話を戻す。結論から先に言えば僕は「意味がある」派だ。ただこれは、「大手企業は学歴フィルターがあるから」だとか「高学歴であればあるほど周りの人間が優秀だから」というような、SNS等で死ぬほど擦られた話をしたいわけではない。
自分は生きていく上で最も重要なものはメンタルだと思っている。よって嫉妬や劣等感といったメンタルを蝕む強烈な感情は早急に排除すべきだ。そういった感情をプラスに変えられる強者であれば話は別だが、多くの人間はマイナスをプラスに変えようとするあまり気張ってしまい、かえってパフォーマンスが悪化するパターンに陥りがちだと思う。だからこそ、大学受験に失敗し、コンプレックスを抱いた状態で他のことに取り組むことが必ずしも正着とは限らないということだ。一年遠回りしてでも環境を整理してメンタルを整えておくことは最終的に近道になることもあるのではないだろうか。メンタル弱者は弱者なりの戦略があると思っている。
滑り止めの進学先の同級生に対してマイナスな感情を抱いてしまう人もいるかもしれない。客観的には馬鹿らしい話だし、プライドが高いクズにしか見えないかもしれないが、マイナスの感情を抱いた人間に正常な判断をしろというのは難しい話だ。切り替えが下手な人は多い。そんなことになるくらいなら一年受験勉強を頑張ってみるのは大いにありだと思う。とにかく、感情に支配されない環境作りが大事ということを言いたい。
いうまでもないが、マイナスをプラスに変えようと努力している人を批判する意図は一切ない。ただ、20前後の若者にとって、大学受験の結果というのが本人にとって重要なのは否定できないし、そこに意識が向いてしまうくらいならさっさと浪人してしまうのが良いように思う。失敗したらしたで仕方ない。失敗した時のことを考えるのはあまり意味がないのと、現役の時よりマイナスの結果で終わるケースは流石に少ない。
浪人の賛否に関しての話題はいつも、「学歴フィルター」とか「生涯収入」あたりがつきまとう。個人的にはその辺はむしろどうでもいいと思っている。就職活動をしてみた感じ、足切りは行われていそうであったが、それより先において「肩書き」はあまり見られてない感じがしたし、生涯収入についてはこれからの本人の努力次第だろう。たかが一年二年で生涯収入すべてが決定するという感覚が怖い。
大事なことは「これから先全力で頑張れるかどうか」じゃないだろうか。行きたくもない大学に行ったら頑張れない。一方で、本当は大学に行きたいのに、就職やら収入のために浪人しても頑張れない。「後悔しない選択をしなさい」というのは結構深い言葉だ。自分なりに真剣に考えて結論を出し、本気で頑張っている人すべてを僕は応援したい。
苛立ち
チェスというボードゲームをご存知だろうか。最近自分も始めてみた。ちなみにルールを覚えた程度の実力しかない。その程度の力でアプリのレート対戦に潜るとびっくりするくらい負ける。頻発するのは駒のただ取りだ。注意しているつもりなのだが、ミスを繰り返し、タダでクイーンやルークなどの駒を献上することが多い。これがイライラする。ミスもそうだが、こういったことでいちいちイライラしているあたりおそらく自分は向いていないのだと思う。ただ機械的に数をこなしていくことが重要なのではないだろうか。もちろん勉強も大切で、それを通してミスも減っていくのだとは思うが、正直そこまでのモチベもない。間違いなく一年後にはやっていないと思うが、記録としてここに残しておく。
こんなにもボードゲームに向いてなさそうな自分がなぜチェスを始めたのか。それはヒカルの碁というアニメを見たからである。まだ全話見られていないが、これがとても面白い。では囲碁を始めろという話だが、とりあえず二人零和有限確定完全情報ゲームであればなんでもよかったので、かっこいいイメージのあるチェスを選んだ。あとは日本人のプレイヤー人口が少ないため、あわよくば上位プレイヤーになれるのではないかという期待があった。数戦やればそんな期待はすぐに打ち砕かれたが。
とはいえレート1000くらいは超えたい気持ちもあるにはある。正直ここでやめたらダサすぎる。しかし暇つぶしにしてはストレスが溜まるゲームだし、多大な勉強を必要とするあたりコスパの悪い趣味だとは思う。一応定石書を一冊買ってみようか悩んでいる次第。でも正直時間の無駄だよなぁ。