bystander

そろそろ学生が終わりそうな人の日記帳

jealousy

SNSの普及により、世の中に嫉妬が渦巻くようになった感じがする。臭い物に蓋をすることができなくなったのである。少しネットサーフィンをしていれば、自分より優秀な人間がわんさか出てくる。自分より華やかな生活をしている人間が出てくる。自分はなんてちっぽけな人間なんだ、自分は負け組なのかもしれない。そんな感情が湧いてくる。むしろマイナスの感情が湧かない方が変なんじゃないかとすら思ってしまう。「嫉妬は意味がないから切り捨てるべき。」だとか「SNSを見るのをやめろ。」と皆はいう。正論だ。嫉妬なんて意味がない。自分のことなんて実際のところ誰も興味がない。

でも、意味ないとわかってもしてしまうのが嫉妬というものだろうし、SNSを見ないで生きていくことはなかなか難しいんじゃないかと、個人的には思う。時代が変わってしまったのだ。Twitter,Instagram,LINEのどれも利用していない人というのは珍しいだろうし、そもそも、これらは時に役に立つツールになりうる。いずれにせよ、「嫉妬しない環境作り」というのは、今の時代においては難しいと思う。便利になったというより、辛い世の中になった。

「自分の人生に無関係な人に対して嫉妬をする」

そんなものは本当に生産性のないことだし、人によっては理解不能に思えるだろう。メンタルの強い友人は、「大事な人以外虫だと思え。」と言っていた。良い考え方だと思うし、自分もこの生き方で生きようとはしている。一方で、そんな簡単に割り切れない人もたくさんいると思う。そういった人はどう生きていけばいいのだろうか。僕の意見としては、ただそれを受け入れることだ。

自分は何者でもない。これからも何者にもなれないかもしれないし、これから自分の歩む人生は地獄かもしれない、そう思ってみる。だから嫉妬をしてしまうのは当然だ。時には病んでしまいそうになる。狂いそうになる。でも、何か目標があるのであれば、それを達成するために努力するしかない。だからやるのだ。ただし、それも無理をしない範囲内でだ。能力以上と感じられることはしない。もちろん、努力したところで報われるかはわからない。苦しい生き方だけど、そんなもんだと受け入れる。自虐ではないが、一度そう割り切ってみると良いんじゃないだろうか。そんな辛いのなら努力しなくて良いじゃないかって?そうかもしれない。逃げ道はたくさんある。

でも、大望を抱いている人間であれば、世の中が残酷で苦しいものだというのは、少なからず感じているのではないだろうか。だから仕方ないじゃないか。そして、意外とこういう生き方も楽しいことがわかる。焦らず地道に努力していくと、ちょっとした成果に対しても心から喜べるようになる。

 

だからとにかく、自分の感じたありのままを受け入れ、無抵抗のまま生きる。準備だけは怠らずに。